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恐れが、依存を生む。

ブログ名:八木龍平 様

来月14日の打ち合わせをThambaサンバさんとしていました。スピ談義をしていたのですが、そこで「依存」というのが、ひとつキーワードで出ました。霊的能力の高い(とされる)人物に対して、クライアント・生徒・弟子が「依存」する問題です。これは僕自身、見解があって、たとえばこんなエピソードがありました。東日本大震災のあとです。こうブログに書いていた人物がいたんですね。仮にKさんとしましょう。一定以上の波動の高い人がいるところには、大きな地震は起こらない。で、Kさん自身はある人から、波動が高い(!?)ので、ぜひ大都市にいてくださいと言われたと。実際、Kさんが東京にいた時は、東京で震度5以上の地震は起こらなかったそうなのです。なんてことをブログに書かれたその夜に東京で震度5の地震がきました。そのブログ記事は、すぐさま消えました。でも数ヶ月たって、また同じような記事を書かれて。性懲りも無く、とはこの事だと思ってましたね(苦笑)。こういう「私がいる場所では、巨大な地震は発生しない」と言っちゃう人、複数いたわけですよ。すると、「ありがとうございます! ◯◯さんがここにいてくださって良かったです!」と感謝コメント多数みたいな。「依存心をあおっている」「あおられている」って見えますよね。でもこれ、ちょっと考察が浅かった。誰しも、自分の居る場所で巨大地震が発生して欲しくないと思いますよね。もしそうなったら、って想像すると恐いだろうし、実際に起こったら、やっぱり恐いでしょう。この恐怖心があることを前提に考えると、「私がいる場所では、巨大な地震は発生しない」というのは、個人の願望なのですよね。言い聞かせているようなもの。「私は波動が高いから、私がいる場所では大丈夫大丈夫!」と、自分に言い聞かせている。自分に言うだけでなく、誰かに承認して欲しくて、他人にもこの事を表現してしまう。不安・恐怖をまぎらわせているだけなんですね。僕はそれが、ある人の反応を見るまでわからなかった。僕一度、こういう事やってしまった事あるんです。乱暴な言葉遣いをすると、「あなたの御神示おかしいんじゃないの?」その御神示を下した霊能ある人物に”だけ”伝わる形で言ってしまった事がある(笑)。その時の反応は「恐いのかな?(笑)」でした。それも僕や他者に伝わらないやり方での反応だった。こっそり日記に書くみたいに、とあるSNSに投稿してらした。そこで、「あれ?」って思ったのですね。何を恐いと言っているのか? なぜ僕に、あるいは公けに反論してこなかったのか?(そのご神示は、いつの間にか削除されました)あー続きをみる

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恐れが、依存を生む。
恐れが、依存を生む。
八木龍平