願ってる人は、信じていない
[st-kaiwa2]願うと祈るは正反対なんだね[/st-kaiwa2] [st-kaiwa3]いかに疑いのエネルギーを沈めていくかじゃな[/st-kaiwa3] [st-kaiwa2]条件は少なければ少ないほうが良いよね[/st-kaiwa2] [st-kaiwa2]だから思考や法則はシンプルな方が良いのじゃ[/st-kaiwa2]出典元:https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12389414830.html
「祈り」の対義語は、「願い」。
「願い」の同義語は、「不満」。
「不満」の対義語は、「感謝」。
「感謝」の別名は、「祈り」。
よって、
祈りとは、感謝すること。
誰の曲?ってLINEを沢山もらいましたが、
昨日のLIVEで歌った『風に向かって立つライオン』は、詩人さだまさしさんの曲。
その曲の、一番最後に、
「あなたの幸せを、祈っています。」
という歌詞がありました。
もしもこの部分が、
「あなたの幸せを、願っています。」
だったら、どうだろう?
ニュアンスの違いは些細だが、
意味は正反対である。
「願い」と「祈り」は真逆の行為だから。
想像してみてほしい。
「誰かの幸せを祈っている人」を。
その人はきっと、頭の中で「その誰かの幸せ」を思い描いているはずである。
「幸せである、その誰か」を、いまイメージしているはずである。
それが、祈りだから。
一方、
「誰かの幸せを願っている人」。
その人はきっと、頭の中で、「今、幸せじゃない誰か」を想像しながら、
「幸せじゃないこの人が、いつか幸せになりますように」と願っているはずだ。
「あなたの幸せを、祈っています。」
「あなたの幸せを、願っています。」
今ならその違いが、分かるはずだ。
これは「祈り」でも「願い」でもなく「ふざけて」る人
祈りの対義語は、願い。
願いの同義語は、不満。
不満の対義語は、感謝。
感謝の別名は、祈り。
よって、
祈りとは、感謝すること。
願いとは、目の前の現実とは異なるモノを要求する行為。
「これ」は嫌だから、「あれ」をください。
「ここ」は嫌だから、「どこか」へ連れて行ってください。
だから、願いとは、不満のこと。
願っている人は、「今そうである」と信じていない人。
ベンツに乗りながら、「神さま、ベンツに乗れますように」と願う人は居ない。
豪邸に住みながら、「神さま、豪邸にいつか住めますように」と願う人も居ない。
「今そうである」と信じている人は、感謝し祈っている人。
車を運転しながら、「車があることに感謝します」と祈る人。
晩ご飯を食べながら、「神さま、今日も食事を頂けることに感謝します」と祈る人。
祈っている人は、「今そうである」と信じている人で、
願っている人は、「今そうである」と信じていない人。
そして、量子力学の観測者効果。
観測者が、「そう」思ったから、「そう」観えるのが現実。
「わたし」が信じた通りに観えるのが、「せかい」。
祈りに、来てください。その聖なる秋分という瞬間に。
願いには、来ないでください。
信じてください、「既にそうである」あなたを。
何かを「得よう」と思って、来ないでください。
もう「総てである」あなたを想い出しに、来てください。
今日の午前9時から、阿部さんの以下のURLでチケットの予約が始まります。
アクセス集中でダウンしても、1時間後、または午後にでも再度チャレンジしてみて下さい。
↓願いと祈りは、正反対の行為。
そして、願いとは不満のこと。
さらに、不満の真逆は、満足(感謝)。
よって、感謝こそが、祈りの本質である。
「もう、そうであること」に感謝するのである。
柿坂宮司の「宇宙の神さまを降ろします」発言もびっくりしたけど、
願いに来る人が多い会場より
(「そうじゃない」と信じている人が多い会場より)、
祈りに来る人が多い会場
(いま、そうであると信じている人たち)
の方が、神聖な場になる気がします。
祈ることは、信じる事。
願う事は、疑う事。
「叶えたい」ことは、叶わないけど、
「叶っている」ことは、叶えることが出来るよ。
縁があれば、秋分の日に柿坂宮司と一緒に祈りましょう。
祈ることは、信じる事。
願う事は、疑う事。