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鎌倉の鶴岡八幡宮は開運・勝運・縁結びのご利益!見どころと御朱印

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鶴岡八幡宮
二の鳥居から三の鳥居へとまっすぐに伸びる表参道、青空と北方の山の緑に朱塗りの社殿がよく映える鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は鎌倉市の象徴的存在です。鎌倉幕府という武家政権を成立させた源頼朝ゆかりの八幡宮は、800年余りの歴史を持ち、広大な境内に数多くの歴史的文化財が点在し、周辺に残る源氏ゆかりの寺社や史跡とともに、古都鎌倉の魅力を醸し出しています。

頼朝は、目下、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、ドラマ前半の中心的役割を果たしていることもあって、小学生からシニアまで、学習に観光にお参りに訪れる人でにぎわっています。

大分県の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮とともに、三大八幡宮の一つといわれる鶴岡八幡宮の見どころと御朱印をご紹介しましょう。

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)とは

鶴岡八幡宮とは

ご祭神

応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
比売神(ひめがみ)

応神天皇は第15代天皇、神功皇后は第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后で応神天皇の母。比売神は神道の女神。三柱を「八幡大神(はちまんおおかみ)」と総称します。

歴史

鶴岡八幡宮は、平安時代の中期1063年に、河内源氏の2代目源頼義(みなもとのよりよし)が京都の石清水八幡宮を勧請して、由比ケ浜に由比若宮(ゆいわかみや)を創建したことに始まります。

約120年後の1180年、頼義から五代目の源頼朝(みなもとのよりとも)が源氏再興と平家打倒を掲げて鎌倉に入り、由比若宮を現在の八幡宮舞殿付近に遷しました。

1191年、火災に遭ったのをきっかけに、後ろの山の中腹を切り開いて、改めて石清水八幡宮の分霊を勧請し、上宮(本宮)と下宮(若宮)の現在の姿に整えられました。

1208年、神仏習合思想に基づいて神宮寺が建立され、頼朝存命中に25の僧坊と別当(長官)坊が整備されました。

興亡を繰り返しながら、江戸時代には徳川幕府の庇護を受け、仁王門や観音堂など多くの堂塔が建築され、大規模化しました。

鎌倉・室町・江戸時代において八幡大神は武家の守護神として崇敬されたのです。

1868年、神仏分離令で八幡宮は神社に改組され、神宮寺は廃止されました。大塔や仏堂などは廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難に遭い、破壊されました。昭和の戦後は神社本庁が包括している別表神社に列なり、現在に至っています。

こちらもご参照ください。

【石清水八幡宮は厄除開運・必勝祈願にご利益あるパワースポット!御朱印と見どころ】

見どころ

段葛(だんかずら)、二の鳥居

鶴岡八幡宮,二の鳥居
頼朝の妻政子の安産を祈願して造られた参道は、盛土によって中央部分が一段高くなっていて段葛といいます。春は桜やつつじが美しく咲き、「日本の道100選」に選ばれています。二の鳥居前のマスクをつけた狛犬がユーモラスです。

1182年に築かれたときは、三の鳥居から由比ケ浜の一の鳥居まで、南北に約1.8㎞続き、若宮大路と呼ばれました。

両側にはモダンなカフェや木造建築の老舗など新旧それぞれ魅力ある商店が並び、お参りあとのショッピングや食事、お茶などを楽しめます。

三の鳥居

鶴岡八幡宮,三の鳥居
境内の入口です。ここの交差点は車両も多く、時差式信号でかなり時間がかかります。慌てずにきちんと青信号になってから渡りましょう。

太鼓橋(たいこばし)、源平池(げんぺいいけ)

鶴岡八幡宮,太鼓橋,源平池
三の鳥居をくぐると、平家打倒を祈願して、政子が大庭景義(おおばかげよし)に命じて掘らせたという源平池があります。東側の源氏池には島が3つ、西側の平家池には島が4つ浮かんでいます。3は「産」(源氏の繁栄)、4は「死」(平家の滅亡)を表しているそうです。ちょっと露骨ですね。太鼓橋の下の水路で二つの池がつながっています。

この木なんの木?

鶴岡八幡宮,この木なんの木? 
太鼓橋のすぐうしろに、枝が西方向にうねっている木がありました。パワーを感じました。

手水舎(てみずや)

鶴岡八幡宮,手水舎
人出が多いからか、世情からか、手水は使えませんでした。

舞殿(まいでん)〔下拝殿 しもはいでん〕

鶴岡八幡宮,下拝殿
頼朝の弟義経の愛妾、静御前(しずかごぜん)が舞を舞ったと伝えられます。当時はまだ舞殿はなく、若宮社殿の回廊で舞ったのであろうといわれています。その跡に舞殿が建立されました。

「下拝殿」となっていますので、大石段を上るのが大変な場合はこちらから参拝してもいいのでしょう。

大石段

鶴岡八幡宮,大石段
61段の大石段を上ると本宮です。

1219年1月、雪が60センチほど積もった夜、頼朝の次男で3代将軍実朝(さねとも)は、右大臣に昇任したことを八幡大神に報告した後、この大石段に降りてきた時に、甥の公暁(くぎょう、頼朝の長男2代将軍頼家の次男)に殺害されました。

これによって頼朝の嫡流は断絶してしまいます。事件の背景には鎌倉幕府に仕えた御家人(ごけにん)の権力闘争があったようですが、重大な歴史の舞台となった所です。

ちなみに実朝は和歌に秀で、歌人藤原定家の教えを受けて、『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』を残しています。勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)に92首も選ばれ、『小倉百人一首』にも「世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟のつなでかなしも」の歌が採られています。満26歳での突然の死は多くの人々に衝撃を与え、惜しまれたことでしょう。

親銀杏(おやいちょう)と子銀杏(こいちょう)

鶴岡八幡宮,親銀杏と子銀杏
大石段の左側に、かつて樹齢約1,000年と言われる大銀杏がありました。神奈川県の天然記念物に指定され、八幡宮のシンボルになっていましたが、2010年3月、強風のために倒木しました。しかし、残った根元から若芽が生え、若木となって成長しています。倒木した親木は三つに切断され、根元から高さ4mまでのものが若木の左隣に移されました。

鶴岡八幡宮,親銀杏と子銀杏

実朝を暗殺した公暁は、当時八幡宮の別当(長官)でした。当夜この大銀杏に隠れて待ち伏せをしていたという伝説が江戸時代に広がりました。そのため「公暁の隠れいちょう」と呼ばれていました。しかし、事件当時の史料にはそのような記載がなく、真偽のほどはわかりません。ミステリアスですね。

疫病退散 自祓い所、茅の輪くぐり

鶴岡八幡宮,茅の輪くぐり
親子銀杏の前に、自分でおはらいをする自祓い所が設けられていました。茅の輪をくぐり、奥の赤い箱の前の人形で半年間の身のけがれをはらいます。初穂料は100円。

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