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長野県の諏訪大社は、我が国最古の神社の一つに数えられ、信濃国一ノ宮として信仰されてきました。諏訪湖をはさんで南岸に上社の本宮と前宮、北岸に下社の春宮と秋宮があります。寅年(とらどし)の2022年は御柱(おんばしら)と宝殿が建て替えられる御柱祭(おんばしらさい)の年にあたります。
四社を巡って、真新しい御柱に触れてパワーアップできる最良のチャンスです。四社は同格で、どこからおまいりしてもいいそうですが、まずは上社の本宮と前宮からご紹介しましょう。
- 1 諏訪大社とは
- 2 諏訪大社の歴史
- 3 本宮(ほんみや)は重要文化財の宝庫! 見どころ
- 3.1 鳥居
- 3.2 手水舎(てみずや)
- 3.3 一之御柱(いちのおんばしら)
- 3.4 塀重門
- 3.5 おみくじ
- 3.6 参拝所
- 3.7 幣殿・拝殿・左右片拝殿・脇拝殿 いずれも重要文化財
- 3.8 四脚門(勅使門)重要文化財
- 3.9 東宝殿(ひがしほうでん)・西宝殿(にしほうでん)
- 3.10 勅願殿(ちょくがんでん)重要文化財
- 3.11 祈願絵馬(きがんえま)
- 3.12 宝物殿
- 3.13 四之御柱遥拝所(よんのおんばしらようはいしょ)
- 3.14 雷電像(らいでんぞう)
- 3.15 天流水社(てんりゅうすいしゃ)重要文化財
- 3.16 神楽殿(かぐらでん)重要文化財
- 3.17 勅使殿(ちょくしでん)と五間廊(ごけんろう)いずれも重要文化財
- 3.18 二之御柱(にのおんばしら)と贄掛けの欅(にえかけのけやき)
- 3.19 入口門・布橋(ぬのばし 重要文化財)
- 3.20 御朱印 御柱祭年の特別印付
- 3.21 【御柱祭】(おんばしらさい)とは
諏訪大社とは
諏訪大社とは
上社(かみしゃ)
本宮(ほんみや)諏訪市、前宮(まえみや)茅野市
下社(しもしゃ)
春宮(はるみや)下諏訪町、秋宮(あきみや)下諏訪町
の四社の総称です。元は「上諏訪神社」「下諏訪神社」という別々の神社でしたが、明治時代初めに国策で一つになりました。全国に分霊を祀る1万余りの諏訪神社の総本社で、「お諏訪さま」「諏訪明神」として親しまれています。
建御名方神(たけみなかたのかみ) 男神
八坂刀売神(やさかとめのかみ) 女神
諏訪大社の歴史
諏訪明神の建御名方神は、出雲大社に鎮座する大国主神(オオクニヌシノカミ)の御子神で、奈良時代初めに編さんされた『古事記』に登場します。力自慢の建御名方神でしたが、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が遣わした建御雷神(タケミカヅチオノカミ)と力競べをして負け、諏訪湖に逃れました。追いかけてきた建御雷神に命乞いをして「私はこの地のほかにはどこへも行きません」と言って、天照大御神に服従を示したと記されています。
建御名方神については、【大国主は縁結びの神様!因幡の白うさぎ・国譲りの物語】の「大国主の国譲り」の項をご参照ください。
諏訪地域に伝わる神話では、逆に建御名方神が侵入して先住神を降伏させた強い神とされています。
諏訪大社の由緒によりますと、建御名方神は水と風を司り、妻の八坂刀売神や御子神とともに信濃国の開拓に力を注ぎ、古くから農業・狩猟・航海・勝負の守り神として信仰されました。また、大国主神の御子神であり、夫婦で祀られていることから、縁結び・子授け・安産・家内安全など広く御神徳がある神様とされています。
また、諏訪明神は武勇の神、武門武将の守護神として信仰され、鎌倉時代以降は源頼朝や武田信玄の支配下に置かれましたが、江戸幕府三代将軍徳川家光の保護を受け、諸国の大名たちが社領を寄進したり、神宝を奉納したりして武運長久と国家安泰を祈願しました。
明治4年、神官の世襲制が廃止され、現在は神社本庁の別表神社の一つとなっています。
本宮(ほんみや)は重要文化財の宝庫! 見どころ
現在重要文化財9棟の保存修理工事(2019年11月~25年12月末まで)が行われているため、一部拝観できない所があります。東参道が正面入口ですが、北参道から入ります。
鳥居
北参道の鳥居です。
手水舎(てみずや)
鳥居をくぐると左手にあります。この手水舎の右手に温泉が出る明神湯があります。ちょっと熱いですが、冬のお参りには手を温めながら清められるので最適ですね。明神湯は諏訪温泉の源泉とも言われています。
一之御柱(いちのおんばしら)
諏訪大社の特徴の一つは御柱といって、神域の四隅に高いもみの木の柱が建てられていることです。御柱は寅年(とらどし)と申年(さるどし)に建て替えられます。
写真は、寅年の2022年5月はじめに新しく曳き建てられたばかりのみずみずしい御柱です。高さ約17m、直径約1.2mのもみの木はきれいに木肌が磨かれ光り輝いていました。そっと触れてパワーをいただきました。
塀重門
一之御柱の右手にある石段を上がり、塀重門から参拝所に入ります。
おみくじ
塀重門を入った中庭に置いてありました。一般的なおみくじ・黒曜石入りのおみくじ・翡翠入りのおみくじがありました。初穂料はいずれも300円です。
参拝所
本宮は本殿を持たず、右手後ろの守屋山を御神体とする古い信仰の形を伝える神社です。
幣殿・拝殿・左右片拝殿・脇拝殿 いずれも重要文化財
中央が拝殿(はいでん)。その後ろが幣殿(へいでん)。左右に片拝殿(かたはいでん)が続く「諏訪造(すわづくり)」と呼ばれる独特の配置です。さらに右手に脇拝殿(わきはいでん)があります。
幣拝殿では恒例行事や重要な神事が執り行われ、国家安泰や公のことが祈願されます。現在の建物は天保9(1838)年に建てられたものです。
四脚門(勅使門)重要文化財
幣拝殿の左手に、本宮最古の建物で、江戸時代初期の慶長13(1608)年に徳川家康が国家安泰を祈願して寄進した四脚門があります。現在保存修理工事中のため見ることはできませんでした。
東宝殿(ひがしほうでん)・西宝殿(にしほうでん)
四脚門の両側に、萱葺き木造平屋建ての東宝殿と西宝殿があります。寅年と申年に交互に建て替えられ、遷座祭(せんざさい)が行われます。
2022年6月15日に遷座祭が行われ、東宝殿から新築された西宝殿へ、錦に包まれた大きなみこしが運ばれ、御霊代(みたましろ)が移されました。
勅願殿(ちょくがんでん)重要文化財
参拝所の右手にあります。元禄3(1690)年の建立で、諏訪明神の御神霊が宿る御神体山に向かって建てられています。こちらは個人・私事の祈祷を行う所です。
祈願絵馬(きがんえま)
勅願殿の下にあり、祈祷に訪れた人々の願い事が書かれています。大きな「夢叶」の文字が目をひきます。それぞれの夢が叶いますように。
宝物殿
勅願殿の右隣にあります。奈良の正倉院を模した建物で、名刀「梨割の太刀(なしわりのたち)」や武田信玄が戦いの折に使ったと伝わる「宝鈴(ほうれい)」、江戸時代の御柱の様子を描いた32mの絵巻の一部などが展示されています。
一般500円。9:00~17:00(入館は16:30まで)
四之御柱遥拝所(よんのおんばしらようはいしょ)
三之御柱と四之御柱は社殿の奥に建てられていますので、直接触れることはできません。四之御柱を遠くに望める遥拝所が勅願殿と宝物殿の間にあります。写真の中央、白い柵のうしろに見える新しい柱です。
幣拝殿のお参りを終えて、一之御柱に戻り、東参道の方に進むと、以下のような見どころがあります。
雷電像(らいでんぞう)
幕末の信州出身の名力士雷電為右衛門(らいでんためえもん)の像です。横綱にはなりませんでしたが、21年間の力士生活で勝率9割6分以上という最強の力士でした。勝負に強い御神徳を仰いで奉納されたものです。茅野市出身の彫刻家矢崎虎夫氏が文部大臣賞を受賞した作品だそうです。神楽殿の隣には土俵もあります。
天流水社(てんりゅうすいしゃ)重要文化財
どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から落ちると言われ、「諏訪の七不思議」の一つとされています。日照りの時にこの水を青竹に入れて持ち帰り、雨乞いの祭をすると必ず雨が降ると伝えられています。
神楽殿(かぐらでん)重要文化財
文政10(1827)年の造営です。奉納された直径約1.8mの大太鼓は、現在元旦のみに打ち鳴らされます。
勅使殿(ちょくしでん)と五間廊(ごけんろう)いずれも重要文化財
左側の建物が勅使殿。元禄3(1690)年の造営で、切妻流れ、正面大唐破風造り。
朝廷からの使いが到着した時に、神へのお供え物の受け渡しやさまざまな神事が行われました。
右手に続くのが五間廊。安永2(1773)年の造営。諏訪大社の神職が着座した所です。
二之御柱(にのおんばしら)と贄掛けの欅(にえかけのけやき)
左側が二之御柱。高さ約16m、直径約1m。これも建て替えられたばかりで輝いていました。そっと木に触れてパワーをいただきました。
その隣の贄掛けの欅は、樹齢約千年の大木です。古くは神に捧げる魚や鳥などをこの木に掛けて祈願したことから贄掛けの欅と呼ばれています。境内でも最古の木の一つです。
入口門・布橋(ぬのばし 重要文化財)
二之御柱の左側の入口門は屋根が吹き替えられて黄金色に輝いていました。通常はここから入って、奥に続く布橋と呼ばれる、約70mの屋根付き廊下を通って塀重門の方へ行けるようですが、工事中のために立ち入り禁止となっていました。
布橋は、かつては諏訪明神の現人神(あらひとがみ)で、諏訪上社の最高位の神職大祝(おおほうり)だけが通れる廊下でした。その際に布を敷かれたことから布橋と呼ばれています。
御朱印 御柱祭年の特別印付
本宮の御朱印です。右下の青い印は、御柱祭年だけに押印される特別印です。
特別印は、中央に「本宮」、周囲の上半分に右から左へ「信濃國一之宮諏訪大社」、下半分に右から左へ「令和四年壬寅年式年御柱大祭」の文字が彫られています。
特別印は令和4年1月1日~12月31日まで。初穂料は500円、社務所でいただけます。
【御柱祭】(おんばしらさい)とは
正式には「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」と言います。6年ごと寅年(とらどし)と申年(さるどし)に、御柱の建て替えと宝殿の造営が行われる諏訪大社最大の行事で、天下の大祭、日本三大奇祭の一つと言われています。
その起源は古代にさかのぼります。御柱が表すものについては、「聖域の結界」、「諏訪明神の神体の表象」など諸説あります。諏訪明神は、風・水などの神として信仰され、五穀豊穣や狩猟の祈願がなされました。柱を建て替えることによって御神徳のパワーアップを願ったのでしょうか。
大きく分けると、「山出し」と「里曳き」があります。
上社では、通常3月に諏訪大社社有の山からもみの巨木(高さ約17m・直径約1m・重さ約10t)8本を伐り出し綱置場に置きます。4月はじめ綱置場から御柱屋敷までの約12㎞を曳行(えいこう)する「山出し」が行われます。その直前に木の皮が剥がされ、きれいに磨かれます。
「山出し」には最大27度の傾斜で、36mの断崖のような木落し坂から若い衆が大勢乗った御柱を落とす「木落し」や、まだ水温が低い川幅約40mの宮川に若い衆が飛び込んで御柱を清める「川越し」など全国的にも知られた人気の高い見せ場があります。
写真は「木落し公園」にある説明板と木落し坂です。有名な「木落し」はこの坂上から落とされます。
そして後方に見える鉄道の下をくぐり、川を渡ります。
ちなみにここは冬になって雪が積もると、子どもたちのそり遊びの場所となります。
5月、御柱屋敷から本宮・前宮まで御柱を曳き、柱を建てる「建御柱(たておんばしら)」などの「里曳き」が行われます。
「山出し」も「里曳き」も機械を使わずに綱や梃子(てこ)を用いて人力で、すべて地域の氏子たち老若男女数千人が結集して行われるところがこの祭の特徴です。
しかし、2022年は諸般の事情から縮小して行われました。残念ながら「木落し」は中止となり、4月2日、御柱は長年の歴史の中ではじめてトレーラーで運搬されました。途中宮川橋で「川越し」の代わりに、宮川の水を汲み上げて消防団の放水で御柱が清められ、御柱屋敷で1ケ月間安置されました。
5月3~5日、「里曳き」が行われました。初日は本宮の4本が御柱屋敷から本宮までの約2.5㎞を氏子たちによって曳行されました。2日目は前宮の4本が前宮までの約1.3㎞を氏子たちによって曳行され、御柱の頭を三角錐に切り落とす「冠落し」の儀式まで行われました。最終日に本宮・前宮の御柱8本がすべて曳き建てられました。
上社の御柱は、「めどてこ」というV字型の角のような大きな梃子棒が前後についています。めどてこを左右に揺らすことで地面との抵抗を軽減し、柱を曳きやすくします。7~8人の氏子がめどてこに乗って指揮をとります。
「里曳き」では氏子たちの騎馬行や芸傘、太鼓、長持ちなどが祭に花を添え、木遣歌(きやりうた)やラッパ・太鼓の演奏で盛り上げます。神官による厳粛な儀式と氏子たちの熱狂と、諏訪地域の人々が一体となる行事と言えましょう。
次回は令和10(2028)年の申年に行われます。
令和4年の御柱祭の様子は、【御柱祭】「上社山出しムービー」、「上社里曳きムービー」などYouTubeで見ることができます。
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