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中央アメリカにあるユカタン半島のメキシコ、グアテマラ、ベリーズ地域を中心に栄えた「マヤ文明」は、高度な文化を持った不思議なマヤ人により築かれた文明です。
この地域には、「マヤ文明」の遺跡も多く発掘されているものの、今もなお謎がたくさん残っている不思議な文明なのです。
では最近注目の「マヤ暦占い」なども生み出した、「マヤ文明」はどのようなものであったのでしょうか?
マヤ文明の誕生
「マヤ文明」と聞いて思い浮かべるのは何でしょうか?
「ピラミッド」型の遺跡、マヤ文字、生贄の儀式、すぐれた天文学、すぐれた農耕技術、そして「マヤ文明」に生きたマヤ人に関しては、アトランティス人や宇宙人説があるほど、不思議がいっぱいの文明なのです。
実は「マヤ文明」の起源というのは、はっきりとはわかってはいません。しかしながら紀元前8000年から紀元前2000年頃が「マヤ文明」が始まった太古期であると考えられています。
実際に「マヤ文明」が栄えたのは、紀元前1000年から16世紀までの間とされています。
かつては現在のロシアとアラスカの間のベーリング海峡が陸続きであったため、そこを渡ってユカタン半島にたどり着いたのが、マヤ人だったと言われています。
マヤ人たちは食べ物を探して最初は移動していましたが、やがてメキシコ、グアテマラ、ベリーズあたりで農業を始めて定住生活をするようになったのです。
「マヤ文明」が最も栄えたのは前述の太古期、先古典期、古典期、後古典期、植民地期とある中でも古典期と呼ばれる時代でした。
この時代は西暦紀元250年から950年頃で、この時期にはジャングルの中にいくつも都市国家が生まれたのです。
そこには王が誕生し、結果として神殿やピラミッドなどが作られてゆきました。
やがて後古典期に入ると、古典期に栄えた都市国家が衰退し、別の都市国家がグアテマラ南部で栄え始めましたが、16世紀に入ってスペイン人により征服されてしまいました。
1830年代から1840年代に、アメリカ人とイギリス人の探検家によってこの地域が調査され、それまでジャングルの木々に埋もれていた遺跡や工芸品などが発掘され、「マヤ文明」に注目が集まるようになりました。
「マヤ文明」は、彼らの子孫によって受け継がれてきてはいたものの、現在でもその文明については多くの謎が残されたままなのです。
マヤ人とは
「マヤ文明」を築き上げたマヤ人たちは、アメリカ大陸からユカタン半島に渡り、そこで兎などの小動物の狩りや、自然の植物や木の実を食べて、移動しながら暮らしていました。
やがてジャングルの中で木々を燃やし、その灰を肥料としてトウモロコシを育て始めました。
トウモロコシは、この地域が実は原産なのですが、彼らが最初に栽培していたのは長さが2センチ程度の小さなものでした。
マヤ人たちは、そのトウモロコシをそのまま食べるのではなく、乾燥させてから水に浸して消化しやすくしたものを摂取したり、粉にしてから練って焼いたトルティージャのようなものにして食していました。
マヤ人にとってトウモロコシはとても大切な食物で、彼らの神話にもトウモロコシが登場しています。
またマヤ人たちは、食物のほかに、遺跡、石碑、土器を作り出しただけでなく、緻密な天体観測による独自の暦や占いなども生み出していたのです。
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掲載元:【マヤ文明】場所や滅亡の謎とは?マヤ文明遺跡の不思議スピリチュアル
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