私たちは、生き物で、メスで、オスで、動物です。
[st-kaiwa2]メスかオスか紛らわしい動物になりたい♡[/st-kaiwa2]出典元:堀内 恭隆さんのBLOGhttp://blog.hori-yasu.com/entry/2017/02/07/151810
性は全ての中心です。
それは、セックスから生まれてこなかった人はいないから。
女性器と男性器の交わりによって生まれて
来なかった人はいないから。そして、それらは “ 愛の交わり ” です。
性を否定するということは
自分の生命が誕生したルーツを否定するということ。性に蓋をするということは
自分という存在の根っこへ蓋をしてしまうということ。自分が “ 愛から生まれた ” ということを
見ないことにしてしまうことです。風俗やアダルトビデオなど “ 性 ” にまつわる仕事を
人間を人間たらしめている “ 性 ” の産業を
卑しいと感じるとしたら、その感覚が卑しいのです。裸を晒すことが、イヤらしく、みっともなく
“ 卑猥 ” だという扱いをしているとしたら
何かを見ないようにしています。性器をモザイクで隠すようなことを
してしまうのって、誰から何を隠しているのでしょう?性欲は不純で、開けっぴろげにすると
みっともないと感じているとしたら
その感覚が、不純でみっともなくて、不潔そのものだ。何かに対して罪悪感や後ろめたさを感じることが
あるとしたら、セックスを貶めてしまっているからだ。セックスに蓋をして、性に蓋をして
なかったかのように扱うということは
自分の存在をなかったかのように
扱うということです。「 自分のことが分からない。 」
「 本当の自分を見つけたい。 」
「 生きる気力が沸かない。 」私たちは、生命体で、人間で、生き物で
メスで、オスで、動物です。どれだけ文化や文明が発展しようが
そこを外してしまって
何をできるというのでしょう?「 愛されたい。 」
「 愛が欲しい。 」
「 いつもどこかで何かが欠けているような気がする。 」愛が欲しいなら、自分の身体を見ろよ。
恥ずかしいからと隠してしまうそこに
しっかりと目を向けろよ。肉体の交わりから、結合して
そこから誕生して生きている
事実に心を開けよ。自分が愛から生まれている証拠は
目の前にあるんだよ。「 やりたいことが分からない。 」
「 欲しいものが見つからない。 」狂おしいほど求めるような本能を眠らせて
分かるはずもない。探し求めても見つかるはずもない。
だから、探し求めている “ それ ” は
全部セックスの中に、性のなかに、生のなかに
ある可能性がある。“ 自分を見失う ” っていうのは
セックスを見失うってことで
性を見失うってことで
生き物で、メスで、オスで
動物だということを見失っているってことだ。
メスで、オスで、動物です。