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【新渡戸稲造の名言】旧五千円札の肖像!人生の逆境を乗り越える言葉

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スピリチュアブレス 

新渡戸稲造,名言
『新渡戸稲造の至言』の本を共著で執筆されている元国語教師ゆうこさんに、『新渡戸稲造(にとべいなぞう)』さんの名言と名言の背景にある半生やおすすめ本を紹介してもらいます。

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新渡戸稲造(にとべいなぞう)

新渡戸稲造,名言
~第一高等学校(現東京大学教養学部)校長、東京女子大学学長、国際連盟事務次長など

旧五千円札の肖像になった新渡戸稲造は、教育者であり、農学者、法学者でもあり、また国際連盟事務次長を務めた国際人でもあります。

そして、『武士道』の著者として内外に知られていますが、その他にも『修養』『世渡りの道』『婦人に勧めて』など、青少年や女性にやさしい文体で人生の生き方などを記した本が多くあります。そんな中から苦境を乗り越えるヒントになるような言葉を紹介しましょう。

新渡戸稲造の名言

「我が身がつらいとなげく時は、他の人も皆それぞれ身のつらさをなげきおることを忘るべからず。天は決して我にのみ苦を与うるにあらず。我に当たる風は人も当たり、我が身をぬらす雨は他の身をもぬらすなり。」(『一日一言』)

(つらいのは自分だけではない。他の人もつらく嘆いていることを忘れてはならない。自分にも他の人にも風は当たり、雨もぬらす。)

苦しい時は、“なぜ自分ばかりに災難が降りかかるのか。他の人は幸せそうに楽しそうに見える。”などと思いがちです。しかし、順境に見える人も案外、外からはわからないつらさや苦しみがあるかもしれないと新渡戸は言います。

新渡戸の輝かしい経歴を見ると、順風満帆だったかのように見えますが、決してそうではありませんでした。

上記の名言を含む『一日一言』という本の構想を練ったのは入院中でした。しかも前年、7年間務めた第一高等学校(現東京大学教養学部)校長を辞任して、新渡戸は失意の底にありました。

1914年7月郷里の盛岡を訪れて各地で講演した後、三陸沿岸の宮古地方を視察し、その帰路7月24日、崖崩れでバスが崖下に転覆したのです。乗務員、乗客合わせて10人が重軽傷を負いました。新渡戸は腰や肩、腹部、後頭部などに重傷を負い、一人では歩けない状態でした。岩手県の病院に入院して手当を受け、29日に退院して東京に戻り、8月上旬東京の病院に再入院して療養しました。

この岩手での入院中に “一日にひとことの文章を読むことで修養を高めることができないか”と、『一日一言』の構想を思いつきました。新渡戸自身が好きな小文を366編選び、1915年1月に実業之日本社から刊行されました。年末までに24版、10年間で84版を重ね、大正時代のロングセラーとなりました。

入院は、新渡戸にとって心身を休め、リフレッシュする絶好の時間となったようです。まさに逆境を善用して幸運に変えたのです。

新渡戸稲造の略歴

1862年 9月1日、現在の岩手県盛岡市で盛岡藩士父新渡戸十次郎と母勢喜(せき)の末っ子として誕生。5人の姉(一人は夭折)と2人の兄がいた。幼名稲之助。 5歳の時父死亡。9歳の時叔父太田時敏の養子となって、次兄道郎とともに上京。太田稲造となる。
1877年 15歳、札幌農学校(現北海道大学)に入学。
1880年 18歳の時母死亡。19歳、札幌農学校卒業、北海道開拓使に就職。
1883年 21歳の時上京し、東京大学選科生になる。面接で“太平洋の架け橋になりたい”と伝える。
1884年 22歳の時次兄道郎死亡。東京大学を退学し、アメリカに私費留学。メリーランド州のジョンズ・ホプキンス大学歴史学部大学院生として登録する。
1887年 25歳、札幌農学校の助教としてドイツへ3年間公費留学。ボン大学、ベルリン大学、ハレ大学で学ぶ。27歳の時長兄七郎の死亡により、太田姓から新渡戸姓に戻る。ドイツ留学を1年延長し、28歳でハレ大学から博士号を取得。ジョンズ・ホプキンス大学から文学士号を取得。
1891年 29歳の時、アメリカ人メリー・エルキントンと結婚。帰国して札幌農学校教授となる。翌年、長男遠益(トーマス)が誕生するが、1週間後に死亡。32歳の時、貧しくて学校に通えない人々のために遠友夜学校を設立する。
1895年 33歳、札幌農学校教頭となる。34歳、神経衰弱により札幌農学校を休職し、国内で療養する。36歳、札幌農学校教授を辞任し、アメリカ、カリフォルニアへ転地療養に向かう。
1900年 38歳、1月アメリカ、フィラデルフィアの出版社から英文“BUSHIDO―The Soul of Japan”(『武士道』―日本の魂)を出版。
1901年 39歳、台湾総督府技師の辞令を受ける。41歳、京都帝国大学(現京都大学)法科大学教授に就任。
1906年 44歳、第一高等学校校長に就任。47歳、実業之日本社の編集顧問になる。東京帝国大学法科大学教授となる。49歳、第1回日米交換教授として渡米(1年間)。ブラウン大学、コロンビア大学、ジョンズ・ホプキンス大学など6大学で166回の日本を紹介する講義を行う。51歳、第一高等学校校長を辞任。
1918年 56歳、東京女子大学初代学長に就任。翌年、前年まで外務大臣を務めた後藤新平に随行して、アメリカ経由で第一次世界大戦後の欧州視察に出発。8月ロンドンで国際連盟事務次長の辞令を受け、そのまま任務に入る。
1923年 61歳、東京女子大学学長を辞任し、名誉学長となる。1926年64歳、国際連盟事務次長を辞任、貴族院議員になる。翌年帰国。
1928年 66歳、女子経済専門学校(現新渡戸文化短期大学)初代校長に就任。67歳、太平洋問題調査会の理事長に就任。大阪毎日新聞・東京日日新聞(毎日新聞の前身)編集顧問になる。
1932年 70歳、2月松山事件発生。4月アメリカへ講演旅行(1年間)に出発。
1933年 71歳、3月アメリカから帰国。8月カナダ、バンフでの太平洋問題調査会の会議に出席。帰途ビクトリアで静養中倒れ、ロイヤルジュビリー病院に入院。同年10月15日(日本時間16日)亡くなる。多磨墓地(現在の東京多磨霊園)に葬られる。

逆境の人が陥りやすい危険と脱け出す方法

新渡戸は、『修養』の中で、次のように述べています。

  1. 逆境に陥ると、そこから切り抜けようとしないで、ヤケになって堕落する人が多い。こんな時は、一歩退いて「さて、この先は……」と、つま先立ちして前を見て考えてみるといい。
  2.  逆境に陥った人は、他人がいい境遇にあるとうらやましく思うものである。“うらやむ”は心病(うらやみ)で心理上の病的現象。同じ出来事でも病的に見れば“うらやみ”となり、健全に見れば“励み”となる。こんな時は、共通の利害に目を転じよう。“一人の利益は万人の利益、一人の苦しみは万人の苦しみ、一人の喜びは万人の喜び”と考えれば、世界は美しい調和に達する。
  3. 逆境に陥ると、自分が悪いからではなく天が災いをもたらしたのだ、他人にだまされたのだというように、とかく自分以外の者に責任を転嫁してしまう。こんな時は、逆境に陥ったわけを自分に尋ねてみて、それは自分のせいだと覚悟を決めれば人を怨むことはなくなる。
  4.  逆境に陥った人は、他人が自分に同情を寄せてもわからなくなり、やさしい心を失い、不人情となる人が多くなる。こんな時は、“海の下にも都がある、群がる雲の陰には太陽が燦然と輝いているのだ”という信念をもつべきだ。公平に大きく広く世間を見渡し、達観するという態度を持つといい。
  5. 逆境に陥った人は、それに耐えて抜け出した人でも心に傷を負って温かみがなくなる。こんな時は、他人の行為を善意に解釈し、親切を感じることを心がけるといい。そして、傷を善用することを考えよう。

富める人も貧しい人も、学問のある人もない人も、地位の高い人も低い人も、傷を負っていない人はいません。我々はなんでこんなつらい目にあうのだろうと思い、その理由を理解することができなくても、そこに何かの使命が含まれているのだと信じれば、好奇心が生じ、辛苦に耐え忍ぶ力を育てることができると新渡戸は述べています。

『武士道』も逆境のときに生まれた!

新渡戸稲造の代名詞のようになった名著『武士道』は、1900年1月にアメリカで英文“BUSHIDO ―The Soul of Japan”として刊行されました。新渡戸38歳の時です。

札幌農学校時代に働きすぎて神経衰弱となり、アメリカ、カリフォルニアで療養生活を送りながら執筆しました。

執筆の直接の動機は、アメリカ人の妻の、日本の思想や風習に対する質問に答えるためでした。また、かつてベルギーの法学大家ド・ラヴレー氏から“あなたのお国の学校には宗教教育はないとおっしゃるのですか。宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか”と驚きを持って質問されたことに答えるためでした。

その頃日本のことが世界の人々にまだあまり知られていませんでした。西洋におけるキリストの教えに匹敵する道徳観念が、日本には武士道精神として根付いており、日本はけっして野蛮国ではないことを示そうとしたのです。

新渡戸自身も学校で特に道徳について学んだ記憶はありませんでした。それは幼い頃家庭生活の中で自然に肌身にしみ込んだものでした。“そんなことをすると人に笑われるぞ”“恥ずかしくないか”などと過ちを犯すと周りから教えられたものでした。

「武士道」とは武士が武人階級の身分において守るべき道です。文章化された法ではなく、口伝えやあるいは格言として人々の心に刻みこまれた掟なのです。

“BUSHIDO”を読んで感動したアメリカのルーズベルト大統領が、30冊購入して家族や友人に勧めたことや、日露戦争時に日本に協力してくれたというエピソードも伝えられています。現在までにドイツ語、ポーランド語、フランス語など約20ケ国語に翻訳されています。

新渡戸が帰国する前にすでに日本でも出版されていました。その後日本語訳が出版され、今も読み継がれる名著となりました。これも逆境を善用して幸運に変えた一例です。

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