さとうみつろう
神社に鏡がある理由は、「いま」を見せたいから。でも人は、「みらい」を願いに来る。手を合わせて、ブツブツ言っているそんな「あなた」の「いま」の姿が、しっかりとその鏡には映っている。「来年が、良い一年になりますように」 「もっと稼げますように」「いい人に会えますように」ぜんぜん悪い言葉たちには思えない。でも「願い」とは、「現状への不満」の別名。「もっと稼げますように」=「いまの収入じゃ全然足りんのじゃボケ」「良い職場になりますように」=「いまの職場マジ腐ってる!」それが、どんな「願い」であれ、「願い」は全て、「現状への不満」そのものだ。あの、「地球が平和になりますように!」という、どこからどう考えても、誰にもツッコめないはずの崇高な願いでさえもやはり「願い」であるからには、「現状への不満」である。「おい、われ!いまのこの地球、戦争だらけでクソなんじゃ!」「願い」とは全て「現状への不満」。そして「不満」の⇔反義語⇔が「満足」だから、「現状への満足」は全て「感謝」になる。「願い」とは全て「現状への不満」のこと。「感謝」とは全て「現状への満足」のこと。 人は不思議で、未来に対しては必ず「願って」しまう。「来年が、良くなりますように」と思うのは、当然だ。「明日が、晴れますように」と願うのは当然だ。「未来」に対しては「感謝」できないのだ。「みそ汁」に対しては「フォーク」が使えないように。「パスタ」に対しては「スプーン」が使えないように。「続きをみる
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掲載元:みそ汁はフォークで飲めない
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