さとうみつろう
今日1月11日は鏡開きの日、「御供えしたもの」を下げて食べることを、沖縄の方言では「うさんでー」って言います。下げたものは、「若い人から食べなさい」と言われる。これは、末子相続にも共通する部分。昔は、長男が相続するんじゃなくて、兄弟の中で「一番若い子」が相続した。理由は生物学的なものだろう。「一番遠くまで生きてくれる可能性がある身内に、我が家のDNAを守るために、家や財産を託す。」話しは、変わって。ロサンゼルスの火事の画像を見ると、もはや「一つの家」の防火設備ではどうしようもないレベルの惨事に「町が燃える」時は、我ら運命共同体として諦めるしかないのだろうそこに都市のもろさがある江戸の街なら、「向こう三軒」両隣りまで顔見知り。運命共同体の覚悟はできている。 だから、火の用心と自警団、町内会、お祭りがある。でも、都市で「1つ隣りの家と知り合い」なんて状態は考えられない。見ず知らずの人たちが密集して生きているこの文明と科学力がどうにか実現した「大都市」という無理な構成が、「いや、無理だったんだって」と、大火に遭って初めて分かる人類。見ず知らずの人たちが密集して生きている密集するからには、知り合い同志、運命共同体の覚悟を持って。そして「知らない人たち」となら、出来る限り「密集しない」。この2択続きをみる
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掲載元:鏡開き、神の判断を受け入れる日
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