スピリチャルコンサルタントmasami
今日は怒りという感情の扱い方についての徒然日記です。
この業界ではそれがあたりまえなんだから嫌なら仕事なくなるよ。がまんしな。
日本ではこれが普通なんだからetc・・・
自分が暮らしている基盤である社会が悪くなっていく、おかしいなと思うことなんかに対してそれを「おかしいな、つらいな、変だな」と思いながら受け入れることは成熟でも何でもないんだなあと思う今日この頃。
怒りという「反応」って結構大事だなと、思うのです。
でも、私は「怒り」という感情との付き合い方が苦手です。
怒りって案外見えない世界的には割とポジティブな感じで扱われることが多いようにセッションの体感として思います。
怒りも料理のしようによっては素晴らしいアクセントになる。
怒りとはさみは使いよう、みたいな。
自分自身がうけとったmessageで
「怒りが沸き起こった時、、それが恐怖心、偏った自己愛からきているものか、尊厳冒涜への純粋な怒りなのか客観的にジャッジして、恐怖心からきている物は怒りと捉えず、怒るほどの恐怖とタグを張り替えてケアすること。
一方、恐怖心ではない、尊厳を守りたいor獲得したいという純粋な欲求からきている物である場合はその守りたいor獲得したい尊厳にフォーカスして、怒りのエネルギーを尊厳を守る、獲得する、権利を行使するために行動を起こすためのエネルギーに変換させること。
怒りとして外部にエネルギーを表す場合においては意識的にパフォーマンスとして怒りを表現することは意味を成すこともあるが、未処理な荒々しい怒りのエネルギーはその奥にある恐怖心に自分が飲まれるのでアンコントローラブルになって無駄な事も多い。
必ず怒りの中にある恐怖心の処理をしてから、なるべく怒りの原動力を尊厳のための純粋なものとしたうえで、意図的に尊厳獲得のためにどのように動くことが大事かという視点を持ち、その上で行動に移す原動力として転換させていくと怒りのエネルギーは大変有意義。怒りのエネルギーから純粋な意思表示の原動力として変換して使うようにすること。」
とのこと。
感覚的なアプローチでいうと
怒り心頭の文字そのものに、怒りが頭も占拠しちゃって、冷静な視点も持ていないほどに勢いづいてしまっている場合は、怒りというエネルギーの奥に強烈な恐怖心があることが多いので、まず恐怖心にアプローチしたうえで、その次に湧いてくる感情の処理をする、二段階対応で。
罪悪感、自己否定、孤独感、いろいろ波動の低さが警報レベルの感情がありますが、怒りはどちらかというと、使い方によっては結構アリ!みたいなエネルギーなんだなあと。
私自身が怒りを追加爆発させると家庭内バランスが乱れるので、自分の怒りは抑える癖がつく生活を子どもの頃送ってきているので(笑)怒りにしばらく気づかず、気づいたときは爆発寸前、もしくはすでに無自覚に爆発していた・・・なんてことになりやすいです。
怒りを抑えているここと、怒りがないことは別なので、怒りを自分が持っていないように自分をだますのはやめようと意識はしながら過ごしてはきたものの、、、
怒りを持つこと自体に罪悪感があるため、どうしても怒りを隠す傾向に流れちゃいます。
何回か失敗を重ねていますが・・・
いまだ、あまり怒りを上手に扱えないでいます。
怒りとはさみは使いよう。
怒りの上手な活用の仕方を翻訳するたび、怒りって悪いものではないんだなあ。
恐怖心に振り回されたうえでの怒りの感情表現と純粋な怒りは別ものなんだなあと理解するだけで、怒りへの罪悪感が少し薄れて楽になりました。
純粋な怒りはたいてい物事への問題意識からきていることが多いので、怒りの扱い方を成熟させることはすごく大事なんじゃないでしょうか・
特に日本人は私のように「怒らないこと」で調和を保ち、それが正義、大人の対応、うまくやるコツとなっちゃうケースが多いように思うので、、、、
今こそ正しく怒ることは別に悪い事じゃないという認識がもてたら楽になるし、社会に風穴があくのでは?と思っています。
自分自身や自分の大切なものという個人的なものだけでなく、
自分が暮らしている基盤である社会が悪くなっていく、おかしいなと思うこなんかに対してそれを「おかしいな、つらいな」と思いながら受け入れることは成熟でも何でもないんだなあと思う今日この頃です。
そうやってるとブラック企業はブラックなままで
おかしな業界のあたりまえは、どんどん一部の人のためにおかしなまんまであり続けるし我慢しながら、あきらめながらうつうつとして暮らす人々が作る社会を成熟社会とは言わない。
極端な例えだと
怒りがなければ、奴隷解放もなかったし、婦人参政権だってなかったし・・・・
(突然たとえが重いですが、、、w)
いまよりも、自分も含めた社会が良くなるんじゃないか、改善できるんじゃないか、と思うことに対して怒りを最初の反応として持って、それを建設的なエネルギーに変換して変えていこうとすることは今すごく大事なんじゃないかと思います。
だから、私も怒りを持つことへの罪悪感を、理性的に怒りを使う有用性という可能性に書き換えて
権威的な物や習慣的な物に対する「小さな怒り」を調和という名のもとに諦めて受け入れ結果的に、そのいびつな社会や習慣をつくってしまう一因になることはやめよう。
そういう風に思いました。
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掲載元:怒りって結構大事。上手に転換させたい。
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