旅するスピリチュアル・カウンセラー竹内ミカ
先日のブログにご質問があったので、今日は祈りと願いについてをお話します。
今日の写真は、桜の見頃を迎えた寒川神社のショット。狛犬さんが桜の傘をかぶっていて可愛いでしょ。
さて、ブログについて、Hana Hanaさんからコメントがありました。
祈りは英語だと、pray です。神様に祈るなどの使い方。
願いはwishで、こうだったらいいなと思う…というところでしょうか。
祈りと願いについては違いが気になる方が多いようで、いくつか検索して記事をざっくり読んでみたのですが、言語の解釈を説くものばかりで、かえって驚いてしまいました。
ことばの定義だけを追うことは、単に目の前にある果物の名前を「みかん」「りんご」 と呼び分けようとしているように表面的なことに過ぎないと思うのです。
解釈を理解するよりも、実践して体感すれば、言葉にとらわれなくなります。
ここからは私なりの解釈なので、ひとつの参考になればと思います。
まず、中心には、発願(ほつがん)が在ると私は考えます。
まず発願ありき、です。
たとえば、「お水を飲もう」 と思いついて、飲みます。
ひとつの願いが生まれ、行動をして、叶います。
おなかが空いてごはんを食べたり、外の空気を吸おうと窓を開けるなど、私たちは一日の中でたくさんの願いを生み、その願いを叶えるべく行動して、実現しています。
やりたいことのリストや、絵馬に書くこと、新月の願いなどは、ここに当てはまるでしょう。
願いは、ナビに行き先をセットするようなものです。
祈りとは、エーテルエネルギー(目に見えない、非物質)にベクトル(方向)を与え、自身の全存在がある目的へ向かうようにするための方法です。
祈りは、「意の利」 とも捉えることができます。(こう書けばイメージしやすいかもしれませんね。)
雑念がすぐに浮かぶ現代人の私たちにとって、ひとつの思いに意識を集中させることで、意識エネルギーの方向を揃えることが祈りのひとつの目的ではないかと思います。
シャーマンは祈りによって、磁場のようなエネルギーフィールドを作ります。
そこに、儀式によって、精霊など見えない存在を呼び寄せ、力を借りながら、願いの実現にエネルギーを動かしていきます。
発願することによって意志の柱が立ち、祈りによってベクトルが固まり磁力が増幅します。
祈りとは、私たちに与えられた魔法の力なのです。
願望実現法のようにして解釈をお話しましたが、実際の祈りには段階があるのを感じます。
個人的な欲望に根差したものから、普遍的で大きな目的の願いまで、願いの数だけバリエーションがあります。
ただ、思いとは、やはり形がないものなので、どこからが無私なのか私欲なのかという区別ができない部分がありますよね。
本来、思いそのものには、良いも悪いもありません。
その初発の動機が、どんな感情から生まれたかが大事。
見返してやる!と思いながら願いが生まれたのなら、その願いのベクトルは復讐心というエネルギーを帯びるでしょう。
だけど、最初はそうしたエネルギーであったとしても、道の途中で心を改め、より発展的な思いから行動していけば、初発の復讐心は、ターボのようなパワーになってくれるでしょう。
例えば、エアコンが効いた部屋から出るとき、空気はむわっと混じってグラデーションになっています。
祈りの中にも、無私と私欲がありますが、その境界はグラデーションになっていて、明確に区別できないものも多いのです。
スピリチュアルを学びだすと、清廉潔白でない自分を責め始める人がいます。
責めることは生命エネルギーを傷つける行為ですから、意識はそちらに向けず、祈りに使いましょう。
祈り尽くした時に得る境地は、自分と外との境界がなく、すべてがひとつに繋がっていることだけを感じます。
ただ清々しく、疑いがなく、「さぁ、やるぞ」 という新鮮な気持ちに満たされています。
この境地を体感したとき、「願い」 と 「祈り」 の言語的な解釈の違いを飛び超えていることに気づきます。
そして、すでに必要なことはすべて知っていたということを思い出しすのです。
見えないエネルギーの世界は、頭での理解と離れたところにあります。
言葉の定義に惑わされず、行動を通じて体感していきましょう。
祈り尽くした境地を体験してみたかったら、2~3時間、そのことだけを祈ってみると良いよ。
それでは、素敵な一日を。
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掲載元:「祈り」と「願い」の違いってなに?というご質問に。
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