旅するスピリチュアル・カウンセラー竹内ミカ
修行時代、何者でありたいかを考えるように教わりました。
何者って、どういうこと?
これを何年も考えた末、スピリチュアリストを目指そうと決めました。
私が思うスピリチュアリストとは、生き方・存在すべてがスピリチュアルな在り方を根本としている人。
私が考えるスピリチュアルの根本は共に栄えることと、自在性、そして万能性です。
(なので、私の定義では、ヒーラーやスピリチュアル系の仕事をしている=スピリチュアリストとは全く考えません。)
一生かけて目指していく心づもりなので、今はまだ道半ば。実は名乗ることに今も躊躇がありますが…。
私の定義はさておき、
何者でありたいのかは、誰を目指すのかと全く違います。
これは何かを学ぶときに大事なので、ぜひ考えるようにしてみましょう。
修行時代、師はいつも背中を通して、私たちの目指す先を示していました。
「そうか、そこを目指していけばいいんだな」と私は受け止めていました。
一緒に学ぶ同期生の多くは、先生や弟子(つまり先輩)を目指しているように感じました。
例えるなら、バスガイドが「あちらが富士山ですよ」と教えているのに、富士山を見ないでバスガイドになりたいと夢見ているようなものだと思うのです。
もちろん、憧れる心を持つのは大事です。
だけど持っている資質も違えば、環境も違うわけで、その人になれるわけではないですね。
人を目指すと、混乱や葛藤が起きます。
目標は、人物ではなくて「あり方」を見つけましょう。
セラピストになる前に、自分がどんな道を目指せばよいかと考えていた時期があります。
メンターに「どこかが欠けててもよいから、ずば抜けた何かを探してみたら」とアドバイスされたものの、困りました。
何をやってもそれなりにこなすのは特技で、その逆にずば抜けた何かが出来ませんでした。
ある時、「スペシャリストではなくゼネラリスト」と閃いたときに、特別に秀でた何かを探さなくても良いと気づいたのです。
ゼネラリストとして生きながら、時によってはスペシャリストのように深く探求する分野があっても良いのではないかと思うに至りました。
この考えがあったので、セラピーを学び活動を始めたときにも、何かひとつだけに固執することなく歩みを進め続けています。
青山サロン時代、生徒さんからミカさんみたいになりたいと言われたことが度々ありました。
今も時々ありますが、この言葉だけはスルーできません。
何者になりたいかを考えるのは大事だけど、誰かみたいになりたいというのは不可能だからです。
私みたいになりたくても、違う人なので、同じことをしても違う結果になります。
それよりも、もっとその人らしさを活かした方法を探していく方が実際的なので、それを共に模索します。
今の時代はSNSで、憧れの人を見つけやすいですよね。
憧れるあまり投稿を追いかけているうちに、考え方や方法がそっくりになってしまうことがあります。
だけど本質が違うと違和感だけが伝わり、これがまた葛藤を生みます。
昨日のブログにも書いたように、私たちは長いスパンで魂の成長を計画しています。
だからこそ、持っている才能は全ての人がそれぞれのオリジナルです。
自分の良さを知って、発揮していきましょう。
誰かになろうとするのではなく、どんな生き方をしたいのか、どんな在り方を願うのかを見つけて行ってくださいね。
豊かさと繁栄の遠隔セッション、受付中です。
素敵な一日を
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掲載元:何者であるかは大事、だけど誰かになろうとしないこと
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