CHIE
ここ最近、なんだすごく自分の中で幸せだなぁ。ありがたいなぁ。という感情がよく湧いています。何か嬉しいことがあったわけじゃない。なんにもないの。なんにも特別なことがない中でこういった感情が沸くことが何より嬉しい。でもさ、人々が求めている本当の幸福ってまさにこれじゃない?ふと思いました。会いたいなぁと憧れていた人に会えたり叶ったらいいなぁと思ったことが実現したりがんばった分、大きな結果をいただいたり「嬉しい」とか「恵まれている」と感じる経験はこれまでも沢山ありました。だけどその裏で〇〇だから幸せと、幸せと条件を無意識のところでいつも結びつけていたのだと思います。だから何か努力していることがないと自分が退化していくように思えて焦ったり現状に幸せを感じるためにその逆の不遇さと比較したり“何か良いこと” や“変化したこと”がないと幸せと感じられなかったのです。「お金が入った」「認められた」「すごい人に気に入られた」「前より良くなった」「奇跡みたいなことが起こった」「不安や悩むことがなくなった」「やりたいこと好きなことがある」↑こういうのが幸せだと思っている人も多いのではないでしょうか?前は良いことが起こることや良い状態にいることで自分を肯定してました。でも今の私はその幸せの形がちょっと変わってきて全てが揃っていることや満ち足りていることが自分の幸せと直結しなくなって絶対条件でもなくなったのです。なんなら一昨日はとても大切なものを失くしてしまう悪いことが起きました。昔の私なら最低3日は落ち込んでだろうし慌てて探すことに必死になっていたり騒ぎ立てていたと思います。でも今は「新しくしよう」くらいに思ってそこまで落ち込まずに平常心でいられてます“心を乱されることがなくなった”これが今私が自分のことを幸せと思える理由です。今私が心を取り乱すことがあるとしたら子供の急な発熱とダブルブッキング(今のところまだないけど)くらいでしょうか。子供のことも慣れてきて冷静に対応できるようになりつつあります。書きながら思い出したけど先週は乗っていたエレベーターが故障して閉じ込められたり、昨日は息子がテレビ叩いて壊しちゃったり仕事で大規模な発注ミスが起こったり出来事よりも、「このタイミングで〜?!」と状況を面白がっている自分に続きをみる
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掲載元:幸せの定義
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