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岩殿観音【正法寺】石崖の石仏群が迫力のパワースポット!御朱印&見どころ

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岩殿観音 正法寺

埼玉県東松山市にある正法寺は、標高135mの物見山(ものみやま)の山腹にあり、岩殿観音(いわどのかんのん)の名称で親しまれています。

坂東33観音霊場第10番札所で、栄枯盛衰を繰り返しながら、1300年以上の歴史が継承されてきました。

切り立った石崖の石仏群や、かつてにぎわいを見せた門前町の面影などひきつけられるものが多くあります。そんな正法寺をご紹介しましょう。

正法寺とは

  • 山号:巌殿山(いわどのさん)
  • 寺号:正法寺(しょうぼうじ)
  • 宗派:真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)
  • 本尊:千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)
  • 開基:逸海上人(いつかいしょうにん)

正法寺の歴史

正法寺の始まり

寺伝によりますと、奈良時代の初め718年に、逸海上人が岩殿山中で修行していると、夢の中に観音菩薩が現れ、お告げを受けました。そこで岩殿山の崖を削り、観音像を岩窟に安置し、かたわらに正法庵を結んだのが始まりとされています。

伝説

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が悪龍を退治!

平安時代初期、奥州征伐に向かう将軍坂上田村麻呂が、岩殿観音のご加護を得て悪龍を退治し、悪龍に苦しめられていた村人たちを救ったという伝説があります。

都に戻った田村麻呂が岩殿観音のご利益を伝えたところ、感銘した桓武天皇は、796年勅命によって伽藍を建立させました。

岩殿観音が北条政子の守り本尊に

鎌倉幕府を開いた源頼朝は観音を厚く信仰し、三代将軍実朝のころに坂東33観音札所が定められたと推定されます。

頼朝の乳母比企の尼(ひきのあま)は、頼朝が伊豆に流された時、岩殿観音がある現松山市と近隣の比企郡の代官となった夫に付いて領地に下りました。そして20年間頼朝に米を送り続け支えたのです。やがて頼朝は比企氏が信仰した岩殿観音を庇護し、妻北条政子の守り本尊としました。頼朝没後、政子が堂宇を再建しました。

栄枯盛衰 室町時代から明治時代

室町時代になると庶民も観音札所を巡礼するようになり、室町末期には西国33・坂東33・秩父34を合わせて百観音札所巡礼が定着しました。その頃には岩殿観音は本坊の他に66の僧坊があり、瓦葺の七堂伽藍を構える大寺院として栄え、門前町ができてにぎわいました。

しかし、1561年、上杉氏と北条氏が奪い合った松山城合戦に巻き込まれ、七堂伽藍は焼失してしまいます。7年後、僧英俊が戦火を免れた本尊の千手観音とともに護摩堂を再興し、1577年、松山城主の庇護を受け、七堂伽藍を再建しました。

1591年、徳川家康により朱印地を賜り、江戸初期には、脇坊4箇寺、修験2院、門前7軒の屋敷地がありました。八王子権現や弁財天など多くの社が境内に祀られました。やがて遊楽を兼ねた巡礼が流行し、札所と門前町は大いに繁栄しました。

明治元年、新政府が発令した「神仏分離令」をきっかけに、仏教寺院や仏具などを破壊する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こり、岩殿観音も門前町も廃れてしまいました。

表参道の復興

昭和の第二次世界大戦後、岩殿観音がある物見山一帯は公園として整備され、ツツジの名所として有名になりました。平成になって表参道が整備され、門前の家並みに往時の面影が復活しています。

正法寺の見どころ

岩殿観音 正法寺

仁王門

岩殿観音 正法寺
運慶作と伝えられてきた仁王像は江戸時代に焼失し、現在のものは江戸後期に再建されました。

約400年前、これらの仁王像がこの門から脱け出し、人間の姿になって村人の代わりに相撲大会に参加して優勝したという伝説があります。なるほど今にも動き出しそうな勇ましい仁王像です。

「巌殿山」の風格ある扁額は、江戸時代の僧愚禅和尚の揮毫です。

鐘楼(東松山市指定有形文化財)

岩殿観音 正法寺 仁王門からまっすぐに続く石段を上ると、右手に萱葺き、寄棟造りの鐘楼があります。江戸中期の1702年に建てられたもので、当初は柱に朱が塗られていたとのこと。東松山市内で最も古い木造建築です。

銅鐘(埼玉県指定有形文化財)

岩殿観音 正法寺
鎌倉末期の1332年に造られたことが銘文に刻まれています。1590年、豊臣秀吉による関東征伐の際に、大道寺入道政繁が兵の士気を高めるためにこの銅鐘を引きずりまわして鳴らしたと伝えられ、その時の傷が残っています。

観音堂

岩殿観音 正法寺
100段ほどの石段を上り切ると正面に観音堂があります。本尊の千手観世音菩薩坐像が祀られています。

金色のお前立の後ろに厨子があり、その中に30㎝ほどの千手観音が安置されています。
岩殿観音 正法寺
千手観音は、千の手とその手にあるそれぞれの眼で人々を救ってくださいます。本尊は青銅製で、室町時代の作といわれ、秘仏のため12年に一度午年(うまどし)に開帳されます。
建物は江戸後期の建造と推定され、明治初期1879年に高麗村(こまむら)から移築されました。

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