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ヒトは、信じる。目が悪いから。

さとうみつろう 

「信じる」という行為は、ニンゲンにしかできない。動物は「信じる」という行為をおこなえない。植物にだってできない。なぜなら、「信じる」を行為するための前提条件は、「見えていない」 事だから。見ているモノは、「信じる」を通さない。「私は、信じるわ!今、目の前に机があるという事を!」目の前の机を「見ながら」そんなこと言ってる友達が居たら、入院を信じさせた方が良い。「信じる」を行為するためには、「見えていない」事が大前提だ。「見えている」ものは、「信じ」られない。ヒトは、神を信じる。「彼氏が浮気をしていない」、と信じる。明日、きっと晴れると信じる。たぶん将来は良くなる、と信じる。大谷翔平が9回を押さえてくれると信じる。どれも、「見えていない」「目の前には起きていない」ことだ。見えていないから、「信じる」を行為として通すのだ。今日は11月3にち、文化の日だけど、ある宗教団体の建物が、都会の一等地にバーンと拡がっていた。創価学会だって、凄いお金持ち。「信じる」気持ちを、お金に替えて集めたからだろう。銀行よりも、一等地にバーンと宗教施設が建っている。それは、世界中そうだ。カトリックも、仏教も。どうして人間は、こんなにも「信じたい」のだろうか?きっと、目が悪いからだろう。だって、原則に戻ると、「見えている」ことは、「信じる」事が出来ない。これは、大原則。そして、ヒト科は「信じる」をメッチャしている。目が悪いんだろう。というか「見えていること」が少なすぎるから、「信じる」という行為を通したくなる。見えるとは、「視える」もあるし、「観える」もある。未来だって、観えてない。町の全体図だって、観えてない。宇宙の構造だって、理解(みえて)いない。僕らは、ニンゲン。今日も、何かを信じている。その理由は、目が悪いからだ。そして、こんなに「続きをみる

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