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幸せな時は気を引き締めて 追記

スピリチャルコンサルタントmasami 

書きたいなあ、シェアしたいなあと思うことが多い翻訳が続く今日この頃です。

 

言葉にするのは難しいし

言葉は選び方を間違えると劇薬になるし

見えたり感じたりしたことが想念で伝わればいいな、なんてお思うけれど、そんなことができるのであれば、人はそんなに揉めないか!?

個体として別の人格をもって関わる学びこそ、この世界のだいご味なのかもしれません。

 

 

今日シェアしたいなあとおもうことは

 

幸せな時ほど気を引き締めて客観性を失わないようにしよう!!ってこと。

 

自戒の念もこめて・・・ニヤニヤ

 

これは気を引き締めないと幸せが逃げるという意味ではなくて、

 

ずっとずっと憧れたり、渇望したりしていた何かを手に入れたり、成し遂げたりした直後、人はその喜びに酔いしれて、ちょっと気が大きくなって、まだそれを手にしていない人たちに対して、悪気なくひどいことを言ったりやったりしてしまいがち・・・

 

ということが往々にしてある。

 

だから、幸せな時ほどちょっと冷静に自分をみよう!調子乗っちゃってない?くらいに思っていた方がいいよ。

そのほうが無駄に他人を傷つけないですむよ。

という話です。

 

 

女性の場合は「一人の人から本気で愛される」

男性の場合は「社会から一流と認められる」

 

このテーマは主観どっぷり周囲を冷静にみる余裕がなくなって、うかれてやらしまくっちゃう方が多いようです滝汗

 

そして、このテーマはどれだけ普段優しくて、心豊かな人にもマウンティングの欲求を芽生えさせるようで・・・

 

無自覚に

 

私は愛された女、

俺は認められた男

 

と宣言したくてたまらなくなる欲求が出ちゃうみたい。

その自分のアホで幼稚な欲求にまけてしまって

無自覚なマウンティングをしてしまうケースを案外たくさん拝見します・・・

 

普段だったら絶対にそんなことしないような人でさえ・・・

 

 

ずっとずっと深く愛し合えるパートナーを求めていた人が、そのパートナーと出会えて、家庭を築いた場合、自分のなかでの達成感や多幸感がおおきすぎると興奮してしまったり、

 

やはり女の幸せは異性に愛されてこそ

男は社会で認められるこそ

 

という世間の目、常識とおもっているものの基準に達したという安堵のような気持ちがわいてしまうからなのか・・・

(なんだその定義・・・)

 

 

「女性は愛されてこそよ、愛し合い愛される関係を持てない人生なんてあまりにさみしいから、もっと積極的に異性のパートナーを探すべき!きっとあなたには大きな癖があるんだから、それをとらないとダメなんだよ~〇〇ちゃん本当にいい子だから幸せになってほしいから~」

 

 

とやさしさという名をベースにしたマウンティングを無意識にしてしまい、激しく人を傷つけている・・・ということが結構あります。

(しつこいけれど、自戒の念もこめて)

 

 

正直、いらぬお世話です。

 

自分は相手のためを思っていいアドバイスしてあげたとおもいつつ、私は幸せと高らかに宣言できて気持ちがよいかもしれませんが。。。

 

求められてもいないのに人の私生活や社会的な活動に上がった人間として物申したところで、相手にとっては不愉快でしかない。

 

 

愛される、

認められる

というテーマは人間を狂わせるんだな、と知っておいておけば

 

無自覚で悪気なく、その分深く激しく人を傷つけることも減ると思うんです。

 

 

たいがい、そういうことを高らかに宣言したくてマウンティングまでしちゃうタイプは、実は相当そのテーマで本人も苦労してたりすることが多いのだから・・・

 

 

その時の気持ちを忘れないで、いま私の過去抱えていたものと同じ気持ちを抱えている人が一生懸命いきてることを絶対にわすれてしまっては、人として浅くなっちゃうからつまらないよとおもうんです。

(自戒の念もこめて。。。)

 

ただ、いわゆる自粛問題的なテーマで、歓びを人に遠慮して閉じ込めておくのも違うと思うので

 

おなじようにそのテーマに幸せを感じている人どうして思いっきりシェアしてもいいし、、、

 

愛し合っている大切なその人と分かち合うことで十分なきもするし、

 

社会で認められるためにともに頑張った仲間とシェアするでもいいし・・・

 

なにも、まだそれに取り組み中の人にみせつけるようなことしなくても、

 

別の形で喜びはシェアできたり、味わえるはず・・・

 

 

いや、案外本当にうれしいことって自分でかみしめてそれで満足するもんなんじゃないかなと思います。

 

本当に、99%の人が無意識にやっちゃってるからこそ

自戒の念もこめて、幸せな時ほど客観性を大切に。

幼い欲求に支配されていないかチェックを怠らないように。

 

 

あとで恥ずかしいし、

大事な人を案外修復不可能なくらい傷つけてからじゃ遅いからね。

 

 

悪気なくやるって、コントロールきいてないから最高に暴力的だからね!!

 

あと、やったことは帰ってくるからね、

へんなカルマつくらないようにしたいよね。



それにせっかくのお祝い事、誰かを不快にさせてせっかくの慶次に味噌自分でつけてももったいないものね。


案外人って幼い欲求に振り回されて大事なものを失ったりしちゃうから、幼稚な欲求には気をつけたいものです。


 

しつこいけど自戒の念をこめて・・・笑




あと、相手から真摯に相談されたら、初めてそのテーマについて話せばいいと思う。




マウンティングされちゃった人は


「幼い奴め、、ニヤリ

とニヒルに笑って取り合わないでいいよ。って思います。


マウンティングされだ側のセッションでも「幼いねぇ笑っちゃうねぇー」って感じです。それ以上その問題に執着するなという感じ。


執着しちゃうと波動落ちてしまうからね。

あとは、「そのマウンティングによって自分の価値を変えない。」ことに注力せよと言われることが多いです。


あとまともに向き合っても相手は浮かれて正気じゃないから、


スルーがおすすめです。



浮かれた春の嵐でも飲まれるときついから、春の嵐にはご注意。




可愛い子がもたち。

 

 

 

 

掲載元:幸せな時は気を引き締めて 追記
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