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神の保証

愛知ソニア プロフィール ブログ ピグの部屋 

先ほど投稿された娘のblogを英語から日本語に;

https://lessonsfrommylump.com/2025/10/24/gods-guarantee/… より;

 

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 昨夜の夢の中で、私は神を探していました。「あなたはどこにいるのですか? そこにいると知りたい。私が本物に投資してきたことを確信したい。あなたの約束が真実であると知りたい。いま、ここで、五感を通して、それを確かに感じたいのです。」

すると、その瞬間、神は私の呼びかけに応えました。

 

 夢の部屋から、私は意識の広がる空間へと持ち上げられ、宙に浮かびました。背後に過去を残し、心は空を満たす光に開かれていきます。恍惚とした愛の波動が私の存在のすべての細胞を駆け抜け、やがて私はその愛そのものとなりました。神の愛が、私の中にある恐れと疑いのすべてのひび割れを満たしていきます。その喜びは時間の連なりを超え、永遠へと折りたたまれていきました。「真実」に信頼を置いたことへの確かな証。その歓喜こそが、私がずっと求めていた唯一の答えでした。

 

 いまも私はその夢の「現実感」を覚えています。祈りが揺るぎない力で応えられた確信が、目覚めた後の世界にも続いているのです。その存在は、これから私たちが歩む試練の道を照らす導きの光です。恐れという集団的な病は、鏡の迷宮のように、それぞれの人生の苦悩を歪んで映し出しています。誰もが同じ幻想の異なる形と格闘しているのです。恐れは、私たちが孤立していると信じ込ませますが、愛は、私たちがはるかに大きな一体の力に属していることを思い出させてくれます。

 

 なぜ私たちは、こんなにも孤独を感じるのでしょう。それは、自分が他者と分かたれているという思い込みからしか生まれません。『奇跡のコース』は、私たちが完全なる愛から生まれ、無限の可能性とともに創造された存在であると教えています。しかし、どこかの時点で「分離した自己」という観念が生まれました。ひとつであったものが多に分かれたのです。そこに罪悪感と恐れが根を下ろしました。恐れこそが分離という幻想を存続させる力なのです。『奇跡のコース』は、すべてを愛する神が苦しみを創ったのではなく、私たちが自らの制限によってそれを生み出したのだと教えてくれます。

 

 またこの季節が巡ってきました。秋の色づく木々を見るたびに、日照が短くなり、闇が支配する季節へと移り変わることを思い出します。それは「手放しの時期」です。木々は軽やかに葉を落とし、裸のまま佇みますが、私にとって思考の奔流の中で裸になることはそう簡単ではありません。

 

 光が闇に道を譲るように、私の思考も影を帯びはじめます。心は、昨年のこの時期の記憶に絡め取られます。古い物語は繰り返されやすく、とくにトリガーが現れると同じ出来事を再び創り出してしまいます。昨日の思いが明日へと引きずられ、今日という美しさを見逃してしまうのです。身体は、心が囚われた場所へと引き寄せられます。恐れはその経路をたどり、筋肉に染み込み、ギターの弦のように過去の物語を再び響かせるのです。胸の奥に緊張が走り、呼吸が浅くなります。

 

 無意識のうちに、右胸に残る柔らかな部分を指先でなぞります。その隣には、固い瘢痕組織が広がっています。PETスキャンで見つかった小さな残留のしこりが、残された部分の奥に潜んでいます。以前は深く押さなければ感じられなかったのに、最近は表面に近づき、存在を主張するようになってきました。指先がそれを探るたび、不安の癖が心の肥沃な土壌に根を下ろしていきます。恐れの雪だるまのように転がり落ちて、「もしも」「どうしよう」と迷宮に迷い込むのは簡単です。

 

 けれど、現実の私は過去が語る場所にはいません。身体はこれまでになく健やかで、活力に満ちています。しかし、過去から生まれた恐れは、今この瞬間の真実さえも塗りつぶしてしまう力を持っています。「もしこれが何かを意味していたら」という不安が、祝福された現在を奪いかねません。

 

 私は夢の中で感じた神の保証に錨を下ろします——私の真の自己は、身体でも時間の中で起こる出来事でもない。『奇跡のコース』の教えの一節が、恐れの手から私を解き放つ助けとなります。「私を傷つけることができるのは、私の思考だけである」。この言葉を息とともに吸い込み、思考を観察し、静かに問いかけます。「私はいま、どんな思いを信じているのだろう?」

すべての根底にあるのは、「神が私を見捨てるかもしれない」という恐れです。

 

 認めざるをえません——私の信仰はまだ完全ではありません。どこかに潜む囁き、「もし間違っていたら?」という静かな恐怖。

だから、私はまた始めます。思考の結び目をひとつずつ解いていく静かな作業を。学んできたこと、体験したことを再確認する中で自由を見出すのです。導きを受け取り、道を見出してきた証は、神の愛のうちにあります。その愛は、どんな状況でも、神の子たちを通して私に流れ込みます。

 

 私は確信したいのです——この身体の唯一の目的は、愛を拡張することであると。人生の使命とは、私たち自身や他者に対して抱いてきた誤った概念を赦し、本来の存在を思い出すことなのだと。恐れが忍び寄り、神を遠ざけてしまう時でさえ、神の恩寵はいつも私を「愛の住処」へと招き入れます。そこが、私が永遠に安全である場所なのです。

 

掲載元:神の保証
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